Tuesday, January 24, 2006


 今日は一日ダンナとけんかばかりしていた。何を話してもなんだか噛み合なくて、こういう日はたまにあるのだけれど、昔の私だったらすぐに家を飛び出して、どこか遠くへ向かうバスに飛び乗っていただろうなあ。先週病院にいた時はあんなにやさしかったのに。。
 子供の頃、私が風邪をひくと、母は会社勤めの帰りになぜかいつもヨーグルトを買ってきてくれて、別に普段も時々ヨーグルトを食べているのに、風邪のときに母が買ってくるヨーグルトは特別な味がした。「宿題は終わったの?」などといつもうるさいおばあちゃんも、私の具合が悪い時はそっとしておいてくれて、風邪をひくのも悪くないな、なんて思ったものだ。
 そう、人は体を壊したり、心を壊したりした時に、自分を支えてくれている人たちの存在に気付くのかもしれない。逆に、普段憎たらしく思える人も、その人の弱い部分を見ると、急に愛おしく思えたりする。自分の調子がいい時はひとりでもやってゆけると思い込んでいる。でもどこかでつまずいたりした時に、手を差し伸べてくれる人、それが家族なんだと思う。
 そんなこと考えもしなかった十代の私。今になっておばあちゃんにもっとやさしくすればよかったなあ、とつくづく思う。
 そうだ、けんかのことは忘れて、今日は何かダンナの好きなごはんを作ろうかな。

Monday, January 23, 2006


(このブログを見てくれたみんな、ありがとう。これを始めたきっかけのひとつは、日本にいる友達に、私のことを思い出してほしいっていう気持ちがあったから。だって私は本当にすてきな人たちに出会ってきたって思ってるから。)
 先週は毎日病院通いで、少し入院もしたりしてブログを書けずじまい。今までずっと健康だった私にとって病院は未知の世界で、怖い所だと思っていたけれど、病院はニューヨークの街が小さく凝縮されたような場所だと気づいた。一部のいじわるな看護婦をのぞいては、みんなのとても陽気なこと。といっても患者のことはほったらかしにして、おしゃべりをしている。私を手術室へ運んでくれた黒人のおじさんは、これから大手術で私がナーバスになってることもお構いなく(結局手術は中止になったのだけれど)、「週末にfishをcookしてあげる」からどうのこうのと、看護婦といつまでも話をしている。検査のために全身麻酔を施すハンサムな医者は、私が新潟市出身だというと、「10年前そこで英語を教えていたよ。」と、わたしの意識がなくなる直前まで話を続けている。病気を知らされた日も、呆然としている私に、会計のお兄さんが口説いてくるし、あんた、ほんとに病院で働いてるの?という人々が実に多い。
 だけど、気づいた。病院は特別な場所ではなく、他の場所と変わりない社会の一部、病気も特別なことではなく、私たちの人生の一部なのだ。だから、別にシリアスになる必要なんてない。
 もう一つ気づいたのは、ニューヨークの病院は人種のるつぼみたいなものだけれど、看護婦は移民系とアフリカンアメリカン、受付はラテン系、医者は白人というふうに、かなりはっきり分かれている。ここはやっぱり小さなニューヨークだと思った。
 ちなみに私の病気は原因不明のものだけれど、数週間の治療で治るそうだからご心配なく。

Monday, January 16, 2006

kakegaenonaimono



Saturday, January 14, 2006

 朝が好きだ。昨日までのことは忘れて、何もかも新しく始まる気がするから。窓から差す光。早起きしてランドリーをする時は、朝焼けの美しさに立ち止まってしまう。コーヒーを入れて、ゆっくりと飲むひとときが、一日のうちで一番お気に入りの時間かもしれない。
 朝の電車に乗り合わせる人々は、みんな眠そうな顔をしている。仕事に行く人、学校へ行く人、赤ちゃんを連れて病院へ行く人。この電車を降りたら、時間のジェットコースターに乗るみたいに、いつもと同じような一日があっという間に過ぎてしまう。帰り道、ふと空を見上げると白い月が見えた。立ち止まってみると、自分がこの場所に属していないような不思議な感覚に襲われた。それなら、どこへ行けばいいというのだろう。

Friday, January 13, 2006

 "Trainspotting" の監督Danny Boyleの"Millions"(2004)という映画を観た。母親を亡くして、父と新しい家に引っ越した兄弟。弟が線路沿いに作ったダンボールの家に、ある日札束が大量に入った鞄が投げ込まれる。時はポンドからユーロへ切り替わる数日前。どうやってお金を使うべきか、ふたりは考える。
 今の世の中はお金の価値が大きくなりすぎている。みんながお金よりも価値のあるものに気付いていかなければ、この社会は駄目になってしまうと思う。気付いていても、この社会のシステムから抜け出せないのが、実状かもしれないけれど。
 

Thursday, January 12, 2006


 ベットに横になるといつもすぐに眠りに落ちる私にとっては、なかなか眠れなくなるということが、なんとなく怖い。少しだけ死というものに近づく気がするからだ。
 眠れないと色々なことを考え始める。子供の頃は時々眠れなくて、将来地球はどうなるんだろうとか、死んだらどうなるんだろうとか考えた。怖いと思うことがたくさんあった。大人になるにつれて、怖かったことも怖くなくなるのは、目の前にある現実に夢中で、怖がっている暇さえなくなるからだろうか。
 子供の寝顔を見ていると思う。この子たちも、この小さな体に計り知れない大きなものを必死で抱えようとしているのかなあって。彼らがとても愛おしくなる瞬間。あの時私が怖がっていたのは、孤独になるということだったのかもしれない。私は今彼らの隣で、幸せな気持ちで眠りにつく。もしかしたら私は、世界一幸せかもしれないと思いながら。

Wednesday, January 11, 2006


 I take pictures to be myself.

Tuesday, January 10, 2006

NEW YORK CITY






Coney Island






Williamsburg in Brooklyn





Monday, January 09, 2006

 昨年観た映画で心に残っているのは、"Mysterious Skin"と"The Motercycle Diaries"
 新人Gregg Araki監督のMysterious skinは、8歳の時にベースボールチームのコーチから性的虐待を受けたふたりの男の子が、それぞれ全く違った方向へ成長して、10年後に再会するという話。映像の美しさと主役を演じるJoseph Gordon-Levittの存在感に圧倒されてしまった。重い内容のはずなのに、自分自身とどこかが重なって切ない気持ちになった。
 The Motorcycle Diaries(algentina)は私の大好きなGael Garcia Bernalがチェゲバラを演じる。彼がまだアルゼンチンの大学で医学を専攻していた時に、友人と共にバイクで南米を旅した時の日記を元にした話。この旅を機に、彼は南米で起きている現実に目を開かれ、キューバ革命へ至る道へと進んでいくことになる。チェ ゲバラは中南米のシンボル。今ではファッションにさえなっているけれど、中南米出身の人達の心の中には、チェの精神がまだ生きているように感じる。
 あれ?心に残った映画イコール主人公がいい男ってことかな?

Sunday, January 08, 2006

 若い時ほど、観た映画のイメージが鮮明に心に焼き付く気がする。今では本当に心に残る映画というのはめったにないのだけれども、それでも週に2本は家で映画を観ている。

お正月にパートナーが選んできたのは日本映画。といっても台湾の候孝賢(Hou Hsiao-Hsien)監督の『珈琲時光』(Cafe Lumiere)で、小津安次郎百年誕生記念として撮られたものだ。
 東京で一人暮らしをするようこの生活を淡々と描く。ようこに密かに想いを寄せる青年、妊娠したけれど結婚はしないと告げるようこを心配しながらも言葉をかけられないでいる両親などが登場するのだが、彼らが自分の隣にいても不思議じゃないほど、とにかくリアルなのだ。小津監督へのオマージュとして日常を静かに切り取るように浮かび上がらせながら、候監督のこだわりが、行き交う電車のシーンなどに表れている。
 6年以上帰国していないからではなく、私がまだ東京に住んでいたとしても、郷愁を感じる映画だと思う。

 次に観たのはフランス映画で"Iruma Vep"(1996) 香港スターのMaggie Cheungが彼女自身の役で主演する。でもやっぱり彼女は香港または台湾映画のなかで演じている方がいいな。ずっと前に日本で観た"Love Song"(邦題)という映画がとてもよかった。

 

Monday, January 02, 2006


5年前のnew year's eveは、グアテマラのパナハッチェルという村にいた。大晦日を生まれて初めてひとりで過ごした。バンバンバンッというものすごい音で目が覚める。時計を見ると11時59分。しばらくして幾つもの花火が打ち上げられるのが聞こえた。宿の部屋でひとり眠っていた私は、年が明けたことを知る。そしてまた眠りについた。
 私はその日メキシコを発ち、何度もバスを乗り継いで、世界一美しいと言われる湖Lago de Atitranの湖畔にあるその小さな村にたどり着いた。2ヶ月近くいたメキシコを離れて、なにも大晦日に移動しなくてもいいだろうと言われたけれど、その時は先へ進まずにはいられなかったのだ。その日の日記を見るとこう書いてある。「誰かに出会えばその場所に居着くことになる。一緒にいたい人がいる場所が私の居場所なんだ。」って。その誰かを必死に探していたのかもしれない。
 さて、今年の大晦日は家族揃って友人の家に招かれ、賑やかに過ごした。南米コロンビア出身の人々が集まったので、みんな踊り続け、12時にシャンパンをあけ、それから食事をした。コロンビアでは、年明けに13個の葡萄を食べるという仕来たりがあるそうで、私も言われたように、ひとつひとつに今年の願いをかけて葡萄を食べた。
 家族や友人に囲まれて暖かい気持ちで迎えられた新年。それでも5年前の大晦日のことを思い出すと、人はどこまでもひとりなのかもしれないという感覚に襲われて、それが悲しいとか言うんじゃなくて、宇宙の法則を知ってしまったような、ただちょっと切ない気持ちになるのだ。

Sunday, January 01, 2006


子供の頃、花の子ルンルンというアニメをテレビでやっていた。ルンルンは幸せの花を探して遠くまで旅に出るのだけれど、なかなか花は見つからず、結局家に帰って来て裏庭でその花を見つけたという話。
 人はまだ見たこともない異国の地を夢見るものだけれど、実際旅に出てみると、日常生活のありがたみが分かったりする。どんな場所に住んでいても、日々の些細な瞬間、見慣れた風景のなかに大切なことは潜んでいる気がする。それをできるだけたくさん見つけていこう、写真に撮っていこうというのがこのブログ。他にも、旅のこと、映画のこと、私の興味がある南米のこと、住んでいるニューヨークのことなど、気ままに綴っていこうと思う。